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年金減額処分取消訴訟事件上告審判決
弁護士 酒井 寛
1 2024年9月12日、最高裁判所の第1小法廷において、「年金額減額処分取消訴訟」のうち、全国の5地域の事案について、上告審の判決が言い渡されました。
しかし、その内容は、すべての事案について上告を棄却するという不当なものでした。
私が担当している愛知・三重事案についても、これに先立つ本年6月7日、最高裁判所の第2小法廷において、上告審判決の言い渡しがなされました。
今回は、その報告を致します。
なお、本訴訟の内容については、2019年8月に掲載された、下記のブログもご参照ください。
2 乱暴な判決期日言い渡し!
上述の通り、この訴訟は、愛知・三重以外の全国各地においても提起されているのですが、愛知・三重事案を含む最高裁判所の「第2小法廷」が担当している21もの地域の事案について、本年5月31日、6月3日、6月7日のわずか3日の間にすべての判決が言い渡されました。
しかも、言い渡し期日が告げられたのは、同年の5月22日でした。
1~2週間前に判決の言い渡し期日を告げられても、遠方の当事者の方々や、その代理人は対応できない可能性があります。
裁判を受ける権利(憲法32条)を侵害と言っても過言ではないことだと思います。
3 不当な判決内容!
(1)兵庫事案の判決を丸々引用
そして、その判決の内容は、いずれの地域の事案についても、2023年12月15日に「年金額減額処分取消訴訟」において最初に言い渡された上告審判決である兵庫事案の判決の内容を丸々引用したものでした。
一口に「年金額減額処分取消訴訟」と言っても、それぞれの地域の事案によって、主張していることや提出している証拠、さらには、意見を述べた学者などは少しずつ異なります。
それにもかかわらず、すべての地域の事案について、判で押したように、兵庫の事案の最高裁判決を引用するのは、「手抜き」と表現しても差し支えないものだと考えます。
(2)堀木訴訟最高裁判決を無批判に踏襲
その兵庫事案の上告審判決においては、今から約40年前に出された「堀木訴訟」という事件の最高裁判決の内容を引用した上で、今回の年金減額は憲法25条(生存権の保障)、29条(財産権の保障)のいずれにも反しないとされました。
堀木訴訟の事件の事案や背景事情についてまで説明をすると、大変長くなってしまうため、ここでは、同事件の上告審判決内容の重要部分についてのみ述べます。
【堀木訴訟最高裁判決の抜粋】
「憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府(法律を作るところ=国会)の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない」(として、憲法違反ではないとしました。)
極めて簡単に言えば、社会保障に関する法律を作るためには、いろいろな事情を考えなくてはならない。そのようなことについては、「選挙で選ばれた」「専門家」である立法機関(国会)の判断・裁量に任せるべきであり、よっぽどおかしなことがない限り、裁判所は口を出すべきではないということです。
そして、今回の「年金額減額処分取消訴訟」の上告審判決は、この堀木訴訟の最高裁判決をそのまま引用した上で、今回の年金減額については、「世代間の公平(年金保険料を負担する現役労働者の世代と年金を受給している世代間の公平)」、「年金制度の持続可能性の確保(年金制度を持続するために年金の減額が必要)」という国の主張を鵜呑みににして、明らかに裁量の逸脱・濫用とまではいえない、つまり、そこまでおかしくはないということで、憲法に違反しないとしました。
しかし、「よっぽどおかしなことがない限り裁判所は口を出すべきではない」という基準の下では、国が作った社会保障に関する法律について、裁判所が憲法違反という判断を下すことは事実上できなくなってしまいます。
これは、裁判所の役割を放棄しているに等しいと考えます。
(3)さらに、私たちは、「制度後退禁止原則」(※1)や、判断過程審査(※2)という、比較的新しい考えをもとにした主張も行いましたが、この判決を書いた裁判官の一人である尾島明裁判官の補足意見(※3)において、これらの考え方は「成熟してない」と一蹴されてしまいました。
しかし、 目の前の事件を適切に解決するために、自分の頭で考えて新しい考え方や基準を作って行くことや、「成熟していない」考え方を確立させていくことも裁判所の役割ではないかと考えます。やはり、裁判所の役割を放棄したものを言わざるを得ません。
4 三浦守裁判官の補足意見
他方、尾島裁判官ともに今回の判決に加わった裁判官である三浦守裁判官は、その補足意見において、以下のように述べました。
「年金受給権者にとっては、実際に給付を受ける年金額が減少する上、このような年金額の給付のみでは、他に収入や資産等の少ない者の生活の安定を図ることが困難であることは否定できず、そのことは、近年における生活保護の被保護世帯の高齢化等の状況からもうかがわれる。」
「国民の様々な要因による困窮を回避するため、持続的な制度の下で、現に困難を抱える個人が必要な給付や支援を円滑に受けられることが肝要であり、適切な施策の充実が求められる」
今回の訴訟において、愛知・三重だけでも300名を超える多数の年金受給者の方々が、陳述書や法廷での証言によって、裁判所に対し、不十分な年金の下での過酷な生活の実態について一生懸命に訴えてきました。
そのような努力を積み重ねた結果、最高裁判所の裁判官が、現在支給されている年金では生活が困難な人々がいることを正面から認め、国に対して「適切な施策」を求めました。
このことは、今回の訴訟を通じて得た一つの成果と言って良いと思います。
5 まだ裁判は続く
以上のように、今回の上告審判決は、全体としては不当な判決といえますが、年金受給者の方々が置かれた困難な状況を正面から認める裁判官の意見が出されたという点で、それなりに意義のあるものだったともいえます。
「年金額減額処分取消訴訟」については、まだ、最高裁判所の第3小法廷が担当しているいくつかの事案の判決が出されていません。これまでの判決よりも一歩でも進んだ判決が出されるよう、最後まで諦めずに頑張ります。
6 最後に
この裁判の究極の目的は、国に対して、最低限の生活を営めるだけの金額の年金を支給することを保障する制度(最低保障年金制度)を導入させることです。これを実現するための方法は裁判に限りません。裁判以外の運動によって政治に働きかけ、これを実現させることも十分に可能だと思います。
最後に、堀木訴訟の最高裁判決が出されるよりもずっと前の昭和35年に出された「朝日訴訟」という事件の第一審判決は、「最低限度の生活」に関して、以下のように述べています(なお、本訴訟の最高裁判決においては、「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的的な裁量に委されている」という、生存権保障の程度を著しく後退させるような内容の意見が付されてしまいました)。
「(最低限度の生活)は、その時々の国の予算の配分によって左右されるべきものではないということである。予算を潤沢(じゅんたく)にすることによって最低限度以上の水準を保障することは立法政策としては自由であるが、最低限度の水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである。」
当時は 昭和35年という、戦後わずか15年で、高度経済成長以前という、まだ貧しい時代の判決です。それでも、「最低限度の水準」という憲法の定めは「決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを支配すべきものである。」と断言しています。
要するに、予算の都合で「最低限度の生活」の中身が決まるのではなく、「最低限度の生活」という実質ありきで、それに合わせて予算を策定すべきだという、当たり前のことを判断しているということです。
今こそ、この判決の精神を活かすときです!
※1 制度後退禁止原則
新しく国民に権利を与えるかどうかの場面に比べて、「既に国民に与えられている権利」については、既にそのもとで生活をしている国民がいるのだから、これを削減する場面の方が国民に与える影響が大きいため、そのような権利を削減する法律が憲法に違反していないかどうかについては、緩い基準ではなく、より厳しい基準で判断されるべきという原則
※2 判断過程審査
法律を作る際に、その内容については、国会にある程度の判断を任せざるを得ないとしても、その判断の過程(十分な議論をしたか、不利益を受ける人達の話しをしっかりと聴いたか等)については、裁判所が踏み込んで審査することは可能という考え
※3 補足意見
最高裁判所の裁判書(判決書)には、各裁判官が意見を表示しなければならないと定められており(裁判所法11条)、裁判書に個別に書かれた意見のうち、多数意見に加わった裁判官がそれに付け加えて自分の意見を述べるものを「補足意見」といいます。
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ブログ更新履歴
- 2024年9月13日スタッフブログ年金減額処分取消訴訟事件上告審判決
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- 2023年9月2日社会保障年金裁判~舞台は最高裁へ~
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