| 1983年5月に校内暴力に荒れる中学校で生徒指導の先頭に立っていた柏木恒雄先生が過労死した事件で、これを公務外とした地方公務員災害補償基金愛知県支部長を相手に、遺族が公務災害であると訴えた裁判で、名古屋高等裁判所は10月8日、名古屋地方裁判所の勝利判決(1996年5月)に続き、再び遺族の訴えを全面的に認め、公務上であるとの完全勝利判決を下しました。その後基金側は上告を断念、柏木さんの死から15年目で労災補償がなされることが最終的に確定しました。 当時は、全国的に校内暴力の嵐が吹き荒れ、豊正中学校は、当時市内でも特に校内暴力が激しく、教師に対する暴力が繰り返され、何度も新聞やテレビで報道されました。たばこ、シンナー、家出、深夜徘徊など非行のデパートという状態で、非行や校内暴力の対応に追われる中で、1983年5月27日深夜帰宅後心筋梗塞を発症し、救急車で病院に運ばれる途中に息を引き取りました。 妻の柏木たえ子さんは、夫の死亡は生徒指導の過度のストレスが原因として公務災害による補償の申請。同僚の先生方は、夏休み返上で柏木先生の行動を再現。校長も、名古屋市教育委員会も「柏木先生の死亡は生徒指導の激務によるもの。」との意見を提出。 ところが、基金側は「生徒指導に慣れたベテランだから、負担ではなかった。教師集団で対応したから柏木先生だけが大変だったわけではない。喫煙とコレステロール狭心症の前歴が原因。」などとして、労災を否定しました。 裁判では、当時の加藤教頭、渡辺さん、青木さんの2名の同僚教師、控訴審では杉本さんが「殺人意外何が起きても不思議ではなかった。自分たちも毎晩酒なしでは眠れなかった。」と証言。また名南病院の田淵医師は「問題行動の種類と数が次第に増大し、これがストレスの負担につながった可能性が大きい。」と証言。 一審判決は「恒雄は、尋常とは思えないいわゆる荒れた状況にある豊正中学校において、生徒指導主事として勤務時間中はもちろん、時間外の夜間までいつ発生するか分からない生徒の問題行動又は父兄等からの相談に備え、いったん事が発生したら直ちにこれに当たり、それ故に、不規則な勤務が恒常化していた。年次有給休暇も全く取らず、休日も返上して生徒指導を兼ねた行動に出ていたなど、その心身の休養をはかる暇もなく、正に働きづめの状態にあった」「特に突発的に発生する事件等に備えて常に緊張状態にあったことが窺われることからすれば、その業務の実態は健康に何の問題もないような者にとってさえ過重というべき」と判断した。さらに名古屋高裁は「生徒の問題行動はすべて総括責任者である恒雄の下に伝えられ、恒雄は直接、間接にすべてのことに関わらなければならなかったことはもとより、職員ばかりでなく問題行動を起こす生徒に指導力のあった恒雄はなにかにつけ重宝がられ、歯医者に通う時間も惜しんで職務を全うせざるを得なかったこと」「当時の恒雄の状態については同人とわずか二ヶ月ばかり勤務しただけの木村校長さえ同人が疲れていると感じていたばかりでなく、同人の死後容易に後任者を選ぶことが出来なかったことによっても大変なものであったと認められる。」として、原判決は相当である、との判断を下した。 柏木さんの15年間の闘いはようやく一つのピリオドを迎えることが出来た。勝利の要因は、まず柏木さんが夫の死という悲劇を乗り越えて裁判に立ち上がったこと、そして、柏木先生の過労の状況を再現した同僚の先生方の協力、そしてストレスの負担を否定する基金側の専門医に対抗して証言してくれた田淵医師の証言、毎回の法廷を満員にした支援の皆さんの応援、そして弁護団のねばり強い弁護活動が一つになって労災の認定を勝ち取ることが出来た。なによりも判決を故柏木恒雄さんに捧げたいと思います。 |